9割が知らない‼︎大河ドラマ化して欲しい人物ベスト10〜幕末編〜

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こんにちは。badass tigerです。

今回は、完全主観で大河ドラマ化して欲しい人物をベスト10方式でご紹介します。

とはいえ、一般的にはあまり知られていない人物も入っています。

そして、旧幕府側の人物が多いです。

これは完全に、僕の好みです。

是非、今まで知られざる人物と知らない目線から歴史を語る楽しさを知って欲しいと思います。

第10位 永倉新八(1839〜1915)

第10位は、永倉新八です。

彼は、新選組二番隊隊長です。

昔は、単純に1番2番と順番に強い人を決めていたので永倉は、新選組で2番目に強いということになります。

ちなみに一番隊隊長は、あの沖田総司です。

永倉は、戊辰戦争を生き抜き大正の初めまで生きます。

新選組は、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3大スターの目線から見たドラマばかりでしたが永倉新八の目線から見た大河があっても面白いのではないでしょうか?

個人的には、老人になった永倉が若いチンピラどもを睨み一つで退けたエピソードをして欲しいです❗️

第9位 山田顕義(1844〜1892)

山田顕義は、長州藩の志士です。

今の日本大学の創始者としても知られています。

幕末期は、あの高杉晋作の薫陶を受けあの伝説の功山寺挙兵の一員として参加しました。

その後、山田は戊辰戦争にて海軍における大胆な軍略にて勝利に貢献しました。

戊辰戦争での彼の活躍は最も取り上げられてもいいと思います。

明治維新後は、法律の整備を進めて日本の法治国家への道の推進を支えました。

そして何より、日本きってのマンモス大学、日本大学の創設者としてその名を馳せています。

第8位 黒田清隆(1840〜1900)

第8位は、第二代総理大臣黒田清隆です。

黒田清隆は、薩摩藩現在の鹿児島県の出身で戊辰戦争に深く関わっています。

そして、箱館戦争の主導的立場にあり、敵として戦った榎本武揚との交流もよく知られています。

敵同士でありながらお互いを認め合った間柄でした。

したがって、戦後榎本の助命を訴えて榎本は明治政府の重要なポストを務めることとなりました。

これだけ慈悲深い人物でありながら、酒癖が悪く数々のトラブルを起こした二面性のある人物であるところが人間臭く魅力的なところだと思います。

第7位 細谷十太夫(1840〜1907)

第7位は、細谷十太夫です。

この人物を知っている人はあまりいないのではないでしょうか?

細谷は、仙台藩の藩士でした。

この人物が痛快なのは、戊辰戦争において連戦連敗だった旧幕府軍の中で、侍以外のならず者たちを率いて官軍相手に勝ち続けた名将だからです。

彼が率いた「衝撃隊」はヤクザや猟師などかなりクセのある人物が多い部隊でした。

これを、見事に率いて圧倒的な軍備を誇る官軍相手に勝ち続けたのだからとんでもない名将だと思います。

しかも、彼がシンボルにしていた八咫烏はあのサッカー日本代表のシンボルマークであるのも興味深い部分です。

そして、戦後は故郷仙台にて僧となり一生を終えるのもなかなか乙だと思います。

第6位 立見尚文(1845〜1907)

第6位は、「常勝将軍」こと立見尚文です。

立見は、桑名藩今の三重県の志士です。

彼を有名にしたのは、北越戦争での戦いぶりです。

彼は、朝日山の戦いにて奇兵隊参謀の時山直八を討ち取るという大殊勲を成し遂げています。

その後、一旦は攻め取られた長岡城を奪い返すという戦勲も得ています。

後年、散々煮湯を飲まされた明治の元勲、山縣有朋が立見には頭が上がらなかったというエピソードがあります。

彼は、その後生き延び日清戦争、日露戦争も戦い抜きます。

日露戦争でも、黒溝台会戦でも重要な役割を果たし日本の勝利に貢献しました。

第5位 酒井玄蕃(1843〜1876)

第5位は、庄内藩の家老酒井玄蕃です。

酒井玄蕃は、戊辰戦争で秋田藩との戦いにおいて連戦戦勝に導き、「鬼玄蕃」との異名を得ました。

しかし、玄蕃は鬼というには全く違う優しい武将でした。

何故なら彼は、とても慈悲深く部下思いの武将だったのです。

雨の中、先に部下から屋内に入れ雨宿りをさせました。

自分は、肺を病む身でありながら雨晒しになってでも部下を優先しました。

このような武将だからこそ、兵士は命を捨てて戦えたのでしょう。

しかし、彼はこの肺病にて維新後34歳の若さでこの世を去ります。

この儚さと天才的軍略、そして人間的な魅力が大河に取り上げて欲しい理由です。

第4位 鍋島直正(1815〜1871)

第4位は、佐賀藩の藩主鍋島直正です。

彼こそ、幕末の藩主の中で最高の藩主だと思います。

日本で一番早く、反射炉を設置して自藩にて鉄の製造をし、維新においては最強の武器を持つ藩となりました。

更に、人材育成にも尽力し後の日本を支える人材を育成しました。

藩の財政も立て直し、まさに名君としても働きは顕著です。

そして、佐賀藩の近代兵器のおかげで戊辰戦争に勝てたといっても過言ではないくらいの兵制改革も行いました。

それらの先進的な考え方から、幕末一の名君と僕は考えています。

第3位 桐野利秋(1839〜1877)

第3位は、薩摩藩の藩士であの西郷隆盛の懐刀桐野利秋です。

桐野利秋は、幕末は中村半次郎といって幕末四大人斬りの1人のされています。

しかし、半次郎が斬ったのは史実ではたったの1人です。

それで何故四大人斬りに上げられたかは謎ですが、強く胆力があったのは間違いないようです。

彼は、戊辰戦争でも活躍し会津城の引き渡しも担当しています。

僕が彼を大河に推したいのは、西郷隆盛が主役の大河や歴史物のドラマは多いけど西郷の部下から見た西南戦争はどんなものだったかを見るのも面白いと思ったからです。

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その中でも、桐野は西郷隆盛と最後まで共に戦った仲です。

そして、有名で人間的にも魅力あふれる武将です。

是非、桐野目線からの西南戦争を見てみたいものです。

第2位 林忠崇(1848〜1941)

第2位は、林忠崇です。

彼は、請西藩今の千葉県木更津市の藩主でした。

彼は、戊辰戦争にあたり藩主でありながら旧幕府軍に加わるため自ら脱藩しました。

そして、隻腕の剣客伊庭八郎率いる、遊撃隊に参加し戦いました。

しかし、敗れて日本最後の改易処分を受けてしまいました。

その後、彼は爵位を得ずに放浪の日々を歩み困窮に苦しみます。

しかし、家臣たちの働きもあり再び爵位が得られて安定した暮らしを得ました。

そして、最後の大名として昭和16年、太平洋戦争の間近まで生き抜きます。

この波瀾万丈の林忠崇の一生は、大河にする価値が大いにあると思います。

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第1位 中島三郎助(1821〜1869)

そして、堂々の第1位は、中島三郎助です。

中島三郎助は、幕末の始まりと言われるペリー来航から幕末の終わり箱館戦争までの最初と最後を見届けた唯一の人物なのです。

中島三郎助は、浦賀の与力今でいう役所の職員でした。

しかし、あのペリー来航から人生の歯車が動き出します。

浦賀にペリーが来た時に、1番に対応したのが、この三郎助だったのです。

上司から何の指示も受けてなかった三郎助は、機転を効かせてその場をやり過ごしました。

その為、ペリーからの印象は最悪でしたが何とか一年の猶予を得ます。

しかし、このペリーの船を間近に見て危機感を感じた三郎助は、近代船舶の製造に携わります。

ただの役人で、そこまでの嗅覚が働くのはやはり只者では無いなと感心します。

彼は、懐の深い人物で敵味方関係なく意欲あるものには自分の持っている知識を惜しみなく教えました。

その中の一人が、かの有名な桂小五郎のちの木戸孝允でした。

木戸は中島から受けた恩を忘れず、中島亡き後の遺族に厚遇を尽くしたと言われています。

中島三郎助は、徳川と命を共にすべく箱館にて見事に散りました。

幕末の最初から最後までを見届けた唯一の男これは大河で是非取り上げてもらいたい人物です。

そして、史実では伝わってませんが同じ俳句を趣味とし、徳川と共に死ぬと覚悟を決めた同志、土方歳三との交流を描いて欲しいです。

史実では、交わっているところが伝わってないけど同じ気持ちで戦い、同じ趣味を持つ同士必ず心は通っていたはずです。

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今回は、あまり歴史上では有名ではなかったけど僕が個人的に大河ドラマで取り上げてもらいたい人物を幕末期に限定して語って来ました。

みなさんは、幕末期の偉人で誰を大河ドラマで取り上げてもらいたいですか?

是非、コメント欄で教えてもらえたら幸いです。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう❗️

ごきげんよう😆😆😆

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