【SLAM DUNK】諦めたら試合終了は自分のことだった⁉︎安西先生のトラウマと復活劇

SLAM DUNK

こんにちは‼︎badass tigerです。

スラムダンクきっての名言「諦めたらそこで試合終了ですよ」

湘北高校の監督、安西光義の言葉として有名ですよね。 

実は、その言葉自分自身にも向けられている言葉なんです。

そして、安西先生にはまことしやかに、無能説も囁かれています。

安西先生が何故無能と呼ばれるような指導者になったのか?

それには、安西先生の悲しい過去に理由があったのです。

今回は、「諦めたら試合終了です」が何故自分に向けられた言葉なのかを安西先生の悲しい過去を振り返りながらご紹介していきます。

今回の記事はこんなことが分かります
 
・湘北高校を率いる安西先生のことがよく分かる

・安西先生が何故無能といわれる行為をしたのかよく分かる

安西先生のプロフィール

まずは、安西先生のプロフィールについて説明します。

安西 光義(あんざい みつよし)監督。非常に温厚な性格で物腰も柔らかく、「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」と呼ばれている。元全日本の選手で、大学監督時代は激しい気性とスパルタ式の指導から「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」と呼ばれた。桜木軍団からは「オヤジ」と呼ばれる。恰幅のいい体格でベンチではあまり動かないことからカーネルサンダースに間違われることもあり、何かあるごとに桜木に二重あごをタプタプと叩かれる。バスケ界では有名な人物で、現在は弱小校の監督でありながら、強豪校の監督たちからも畏怖される存在である。信条は「あきらめたらそこで試合終了」。三井と宮城は彼を慕って湘北に入学し、特に三井には恩人として尊敬されており、不良となっていた彼がバスケを再開する決定打となる。大学監督時代、才ある教え子として期待していた谷沢が、すれ違いの果てにアメリカでやさぐれ、事故死したことをきっかけに大学の監督を退く。その後は湘北の監督に就任するが、谷沢にかけた夢が宙ぶらりんのままモチベーションを失っており、練習にもたまにしか姿を見せずにいた。しかし谷沢を超える逸材である桜木と流川の入部により次第にかつての情熱を取り戻し、要所では「白髪鬼」の姿を見せ部員たちを黙らせるほどの威圧感を見せるようになる。桜木のシュート練習を見ていた際に倒れて入院。桜木が早急に救急車を呼んだおかげで大事には至らなかったが、インターハイ神奈川県予選最終戦の陵南戦を欠場した。山王戦にて桜木が負傷した際、異変には気づいておりながら、急成長していく彼のプレイを観ていたいという思いから「代えたくなかった」ことを吐露し、「指導者失格です」と自責の念を表した。 原作終了後の黒板漫画では、医者の指示に従いダイエットに励んでいた。北野は大学生時代の同期生で、大学監督時代の教え子・川崎が津久武で監督している。

Wikipediaより引用

大学で名を馳せた指導者でしたが、プロフィールにもあるようにある出来事があり性格そのものが変わりました。

次は、大学監督時代に一体どんなトラウマがあったのか見ていきましょう‼︎


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大学監督時代のトラウマが安西を変えた

プロフィールにもあったように、安西先生は大学監督時代は「白髪鬼」と呼ばれていて、厳しい軍隊的な指導とスパルタで恐れられていました。

そして、監督として円熟期に入った時に1人の才能ある谷沢龍二という選手に出会います。

そして、谷沢を日本一の選手に育て上げて指導者人生の最後を飾ろうとしたのです。

安西先生は、谷沢を日本一の選手に育てるべく人一倍厳しく、そして基礎的な事をやらせていきます。

何故なら、谷沢の才能を見抜き人一倍目をかけていたからです。

お前なぁんか勘違いしとりゃせんか?おまえの為にチームがあるんじゃねぇ。チームの為にお前がいるんだ‼︎

「SLAM DUNK」より引用

このように、チームプレーの大切さもしっかりと説いています。

しかし、彼には安西先生の気持ちが分からず基礎的なことばかりやらされることに不満を持っていました。

何で大学になってから軍隊みたいなことをやらされるんだ。(中略)辞めてやる、オレのやりたいバスケはここにはねぇ。

「SLAM DUNK」より引用

谷沢は、自分のやりたいバスケをやらせてもらえないことに不満を持ちアメリカに単身渡ります。

そして、数年後一本のビデオが安西先生の元に届きます。

まるで成長していねぇ

「SLAM DUNK」より引用

谷沢のプレーは、アメリカに行って全く成長していなかったのです。

チームも、各自自分勝手にバラバラにプレーしていて安西を愕然とさせます。

安西先生は、このままでは谷沢はダメになると四方八方手を尽くして日本へ帰して自分のもとでもう一度指導を受けさせようとします。

しかし、ついにそれは叶いませんでした。

そして、谷沢がアメリカに向かって5年目のある朝、安西は衝撃的な新聞記事を目にします。

「SLAM DUNK」より引用

そのことにショックを受けた安西先生は、大学を去りました。

しかし、谷沢を育て上げることが出来なかった自責の念から、谷沢の幻影を追い求め未だ指導者としてバスケを辞められずにいました。

そして、弱小ではありますが湘北高校へ監督として赴任するのです。

安西無能説の根拠

湘北に赴任した安西先生は、練習にもたまにしか顔を出さなくなります。

谷沢の幻影を求めてはいるものの、指導者としての情熱は失っていたのでしょう。

そして、情熱を失くした安西先生が無能と言わてしまう根拠となる3つの出来事が起こります。

1.三井寿の不良化

遡ること3年前、武石中に三井寿という天才プレイヤーがいました。

県大会の決勝戦、来賓として招かれた安西先生は、ワンゴール差で武石中が負けている状態で残り12秒、ボールが外に出てうなだれている三井に声をかけます。

最後まで…希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ。

「SLAM DUNK」より引用

その言葉で甦った三井は、見事に逆転して優勝を飾り自身はMVPに輝きます。

そのことで安西先生に尊敬の念を抱いた三井は強豪校の誘いを断り、安西先生のいる湘北高校に入学します。

そして、湘北高校日本一の目標を掲げます。

しかし、一年生同士の紅白戦で後にキャプテンとなる赤木剛憲のがむしゃらなプレーを見せられ無理なプレーをしたため膝をケガしてしまいます。

膝をケガした三井は、インターハイ予選に間に合わせようと治りかけの状態で無理をして練習に参加して再びケガをしてしまいます。

そして、インターハイ予選で躍動する赤木たちを見て自分の居場所を失いそのままバスケットボール部を去り、心が折れた三井はグレて不良となってしまいます。

この時、安西先生が何か三井にケアをした描写はありません。

おそらく、そのまま放置していたのでは無いかと思われます。

安西先生のことを尊敬していた三井ですから、ケガが治るまで待っているからしっかりと今は直すことに専念しなさい、とでも言っておけば不良になり2年間を棒に振ることはなかったものと思われます。

2.赤木の孤立化

赤木剛憲は、湘北高校に全国制覇の夢を抱き入学してきました。

そして、その目標に向かってがむしゃらに練習に励みます。

しかし、その想いが強すぎてチームメイトに厳しく接してしまいます。

山王工業に挑戦したいなら海南にでも行けばいいだろ  
ここは神奈川県立湘北高校だぜ  
とりたてて何のとりえもないフツーの高校生が集まるところさ  

お前だってでかいだけでヘタだから海南にも翔陽にも行けなかったんじゃねーか  
海南だってはるか雲の上なんだ  
強要するなよ全国制覇なんて  

赤木・・・お前とバスケやるの息苦しいよ・・・

「SLAM DUNK」より引用

赤木があまりにも厳しい練習をチームメイトに強いるので、赤木が三年生になるまでに三年生は、赤木と木暮の2人しか残りませんでした。

これだけの選手が退部する、そして赤木のやり方に対して安西先生が何か手を打っている描写はありません。

赤木のやり方については、あまり練習に顔を出さない安西先生でも耳には入ってきたと思います。

そして、貴重な部員たちが次々と退部していくのをただ指を咥えてみているだけでした。

部員を引き止め、赤木にもう少し部員たちの気持ちも考えるように諭していたら三年生部員も残りもう少し、選手層が厚くなっていたかも知れません。

練習については、赤木に一任していたのかも知れませんが、放置が過ぎますね。

3.宮城と三井の抗争を止められない

宮城リョータもまた素質がある選手で、陵南の田岡監督もスカウトしたほどの逸材です。

彼もまた、三井と同じく安西先生に憧れて湘北に入学します。

しかし、一年生からレギュラーとして使われた形跡はありません。

何故使わなかったのかは不明ですが、自分を慕って入部した素質のある選手を使わないのは解せませんね。

また、宮城リョータと三井寿が喧嘩をして双方が入院した時も安西先生がお見舞いに行ったりした描写はありません。

また、その後に起き得る宮城と三井の抗争を止めようとした形跡も全くありません。

2人はいずれも自分を慕って入学した生徒のはずです。

その時に、安西先生が動いていたら三井のバスケ部襲撃はなかったかも知れません。

これは、仮定ですが谷沢の幻影をまだ追いかけている安西先生からすると、赤木や宮城や三井はそこまで魂を揺さぶられる素材ではなかったという事かも知れません。

だから、積極的に関わらなかったのかも知れません。

しかし、その後入部する2人の一年生にやって安西先生に眠っていた指導者としての情熱が再び燃え上がります。

そして、諦めかけていた未来のある素質のある選手を一流に育て上げるという目標が出来たのです。

スカパー!

流川と桜木によって再び情熱を取り戻す

スーパールーキー流川楓と身体能力オバケ桜木花道の入部は、安西先生に眠っていた情熱を再び取り戻してくれました。

2人の素質は、あの谷沢を越えるものがあると安西先生は確信したのです。

おい……見てるか谷沢……お前を超える逸材がここにいるのだ……!!
 それも……2人も同時にだ………谷沢……

「SLAM DUNK」より引用

このセリフは、山王戦でのものですが流川と桜木の入部後は練習にもよく足を運ぶようになります。

安西先生がようやく谷沢の幻影から解放される時が、来たのです。

流川には、谷沢と同じようにアメリカへもっと上手くなりたい為に渡る希望がありました。

しかし、安西先生はキッパリこう言います。

まずは日本一の高校生になりなさい

「SLAM DUNK」より引用

今の流川では、ライバルである陵南の仙道に勝てない、そう本人に悟らせました。

そのことで流川にスイッチが入り、日本一の高校生という目標が出来たことでより素晴らしいプレイヤーに成長していくのです。

また、桜木花道に対してはインターハイ合宿へ向かったチームとは別に神奈川に残らせてシュート練習を二万本やらせました。

そして、何と安西先生は桜木花道に付きっきりで指導します。

桜木花道の身体能力と、尋常でない飲み込みの早さに並々ならぬ期待を抱いたのです。

事実、山王工業戦では最後はこの2人の一年生の活躍で勝つのです。

流川と桜木というピースが加わったことで、安西光義という勝負師の血が甦ったのだと思います。

ひょっとしたら、一度諦めてバスケを放り出したのは三井寿だけでなく安西先生もそうだったのでないかという気がしています。


安西先生が復活した事が湘北の躍進につながる

「諦めたらそこで試合終了です」を言った安西先生は、素質ある有望な谷沢という選手を育てられずに文字通り一度は諦めてしまった時期もありました。

しかし、一年生の流川と桜木花道という谷沢の幻影を越える逸材が入部して安西先生の勝負師としての姿を取り戻しました。

いわば、「諦めたらそこで試合終了です」は安西先生自身の事を言っている言葉でもあるんです。

安西先生自身が、谷沢の死を乗り越えて指導者としてもう一度立ち上がったからこそ湘北の躍進があったのだと思います。

まとめ

今回は、安西先生のトラウマとその復活劇について見て参りました。

湘北の奇跡については、安西先生の戦略と選手のモチベーションを上げる術が素晴らしかったのもその要因のひとつです。

山王戦において、名将としての安西先生がクローズアップされています。

しかし、そこに至るまでには三井が不良になったのを放置したり、赤木孤立をそのまま放っておいたり、バスケ部襲撃の理由となった宮城リョータと三井の抗争を知らんぷりしたりと無能といわれても仕方ない行動もしています。

しかし、そうなっても仕方のないトラウマが過去にあったんですね。

そのトラウマを乗り越えた安西先生は、「諦めたら試合終了です」の意味を1番よく実感していたのではないでしょうか?

こういった推測も考えながらスラムダンクを読んでいくとまた新たな発見があって面白いですね😆

それでは、ごきげんよう‼︎

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